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卑屈を描き切る(幸せの重心41話)

「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。

過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→40話「跳ね返ってくるイライラ」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。

喜怒哀楽の調和への道

「卑屈を描き切る」

今、幸せの重心で挑んでいるお題だ。このお題は、漫画家仲間である羽賀翔一さんからもらった。

ちょっと前までは、善樹さんに言われたことや、記事で見つけた「幸せとは?」に繋がりそうなひとネタを伝えるような意識で描いていたのだが、今はとにかくタナカのらしさ(卑屈さ)を描き切ることを意識している。

意識しているのだが、一点、ちょっとモヤモヤすることがある。
幸せの重心は、0話で提示した「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というテーマでやっているのでは…?それと「卑屈を描き切る」ことがどう繋がってくるのか…?

羽賀さんに「卑屈を描き切る」というお題をもらった時は、テーマとのつなげかたがよく分からず、「とりあえず卑屈を描き切るか!」くらいの気持ちでやっていたのだが、最近ようやくそのつながりが見えてきた!(これも羽賀さんに聞いたのだが…笑)

「タナカのらしさ」そして、「タナカとヨシキや周りのキャラとの関係性」をしっかりと毎話描き切っていくことで、作品のテーマがあぶり出されていく。

マンガはやはり、作者が言いたいテーマのためにキャラクターにセリフを言わせていくものではなく、キャラクターのらしさを描いていく中で自然とテーマが深掘りされていくものなのだ!!

タナカは、いつも卑屈な行動をとる。それに対して、ヨシキはいつも何か発見をして興奮をしている。
そんなヨシキが隣にいるとタナカは、より自分のネガティブさに嫌気がさしてきたりもする。だが、ヨシキはタナカのネガティブささえも、悪いことではなく、面白いこと、強みとして捉えていたりする。

そんなキャラ同士の物事の捉え方の違いが、すれ違いを生み、キャラに気づきを生んだりもする。そして結果的に、タナカの幸せの重心がちょっとずつ動き出すのかもしれない。

…ということで今週も、タナカの卑屈でネガティブなドタバタをお楽しみください…!!!

今週の幸せの重心

「思わぬ向上心」

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カバ田部長に呼び出しをくらったタナカは怒られないように、先回り作戦を実行するのだが、事態は思わぬ方向へ…

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毎週1本、できれば2本記事(目標)を公開していこうと思います。記事の内容は色々と変わっていくと思いますが、日々マンガを描いてい感じる率直なことをなるべくそのまま吐き出すようにしています。作品はもちろん、作品の外側(創作の過程など)を公開して、マンガをより深く楽しんでいただける場にしていければと思っています。

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