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なんで池の周りを歩くA子さんの歩く速度を求めなければいけないのか?

勉強をする目的、部活をする目的、仕事をする目的、僕は漫画家だから、マンガを描く目的。

僕は目的が自分で納得できないと、ずっとモヤモヤしてそのことについて考えてしまう。小中高時代は、すべての目的が分からなくて苦しんだ。友達と遊ぶのは楽しかったけど、

なんで自分は勉強をしているのか、

なんで部活を頑張っているのか、

なんでいい大学を目指しているのか、

なんで偏差値を上げないといけないのか、

なんで第一ボタンを開けてはいけないのか…なんでの連続だった。

特になんで?だったのが、「A子さんは、池の周りを分速速〇〇mの速度で〜…A子さんの歩く速度を求めよ」という数学の問題だ。

なんで池の周りを歩くA子さんの歩く速度を求めなければいけないのか?

今なら僕も大人だから分かる。この問題は別にA子さんの歩く速度を求めたいのではなく、算数・数学を通して、合理的にものを考えたり、論理的思考を身につけたりすると自分が将来夢を持った時にその能力が役に立ったり、数が扱えることで生活がしやすくなったり…という意味があるんだろう。

ただ、僕は非常に物分かりが悪く、物事を抽象化して考える能力もなかったため、苦しんだ。しかも、「数学をやる目的」を誰かから分かりやすく説明されたことはなかった。ただただ、目的も分からず、A子さんの歩く速度を求めた。

ナチスの拷問で、午前中にでっかい穴を掘らせて、午後にそれを埋めさせる、というものがあったらしいが、そういう気分だった。これをやり続けると、自殺する人がでてくる、らしい。

ただ、ナチスの拷問とは違って、先生の言ってることが結構正しいっぽいし、なんか意味ありげな感じがするところが悩みどころだった。その正しいっぽいことができない自分が惨めに感じてくるのだ。

正しいことは言えるが、目的を説明できない

今僕は大人になって、マンガを描きながら、美大予備校の先生をしている。自分で美術の知識や技術を生徒に教える立場になって、あることに気づいた。

正しいことを言うよりも、目的を説明することの方がよっぽど難しい。

美大受験は特殊な世界だ。「デッサン」「平面構成」「立体構成」「明度計画」「エスキース」「全体感」「印象」・・・ふだん聞き慣れない言葉や概念を生徒にひとつひとつ教えなければならない。

たとえば「料理」といういものに初めて出会った宇宙人に、料理をする目的と、その技術を教えるみたいな感じだ。

あきらかに間違ったことを言う先生はほとんどいない。みんな大体「正しい技術」を教えている。だけど、「正しい技術」を教えても、生徒がその技術の目的を理解しない限り、正しい意見に翻弄されるだけで、使い方がわからないから上達しない。

これは、目的まで手取り足取り教えてあげよう、という話ではない。多分先生や大人が、「目的について考えてもらうための問い」を投げかけることはできても、本当の目的意識は本人が主体的に持つものだと思う。

ただ、人にモノゴトを教える経験をすると、なんで?という素朴な問いに、意外と答えられないことに気づく。そこで、自分がいかに行動の目的を理解せずに動いていたか、ということを痛感する。

すべての行動に目的はあるのか

僕は未だに自分がどういう目的で生きているかなんて分からない。マンガを描いてる目的もなんだかフワッとしている。だからネットに溢れる知識や、人からの意見に左右され続けている。目的があやふやだから、情報の取捨選択ができず、「正しい知識を吸収しなきゃいけない」というプレッシャーに毎日追われている。

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漫画家。コルクインディーズ/ラッキーズ所属。『おカネの教室』マンガ版を描きます。

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