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たくさんの足を持つ概念(幸せの重心80話)

「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。

過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話
前回のお話はこちら→79話「グラビア雑誌」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。

好きの中の嫌い

僕は天丼が好きだ。天つゆたんまりかかった、味の濃い天丼が好き。
けど、天丼を食べた後はかならず胃もたれする。その胃もたれの時間は嫌いだ。だから天丼を食べると必ずちょっと後悔する。でも、また日が経つと食べたくなる。

なにが言いたいかというと、好きなものの中に嫌いなものが混在していることがあるということ。

僕はマンガが好きだ。だけどマンガ家としてマンガを描いていく上で発生するコミュニケーションがしんどい時がある。
単純に作画をしてると身体が痛くなるのがしんどい時もある。
一時期そのしんどい時間が嫌で嫌で、マンガ嫌いだーーとなったことがあった。でもよく考えると、マンガ全体が嫌いなのではなく部分的・一時的に嫌なだけだったりする。

人間も同じだ。人間にはいろんな側面があって、○○な人と簡単に言い表せる人なんていない。ここは好きだけど、ここは嫌い。こういう時はいい人だけど、こういう時は嫌なやつ。
だけど、嫌な部分が見えてそこに意識を集中してしまうと突如その人のいいところがなかったかのように見えてきてしまう。


ある対象に詳しくなればなるほど、そのものの構成要素が見えてくる。

僕の頭の中では、ある対象の新しい側面が見えるたびに、その概念にニョキっと足が生えるようなイメージを持つことにした。どこかの足が嫌いになったとしても、たくさんの足で支えられていればその壊れた足が修理されるまで、他の足で立っていられるので。

無理に壊れた足に体重をかけると、崩れてしまうからな。

今週の幸せの重心

カバ田部長が怖くてたまらないタナカに対して、カメ美ちゃんは全く違った視点から語り出す…

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毎週1本、できれば2本記事(目標)を公開していこうと思います。記事の内容は色々と変わっていくと思いますが、日々マンガを描いてい感じる率直なことをなるべくそのまま吐き出すようにしています。作品はもちろん、作品の外側(創作の過程など)を公開して、マンガをより深く楽しんでいただける場にしていければと思っています。

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