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後部座席でヒカル

子どもの時、定期的にみる悪夢があった。

その夢は決まって羊がたくさんいる穏やかな風景から始まる。
平和な気持ちで羊を眺めていると徐々に空が曇っていき、気持ちがドッと暗くなる。雷とかも落ちてくる。
すると突然ルーレットが目の前に現れる。紫と赤と黒を基調に、悪魔の顔をモチーフにしたようなイカついルーレット。いかにも"悪"みたいなデザインだ。何のためのルーレットなのかもよく分からないのだけど、とにかく最低最悪の気分になる。この時間が地獄なのだ。気持ちが沈みきり泣きながら「もう無理だァ....ここから出してくれェ...」と強く願う。

すると夜の田園調布のロータリーに場面が変わる。
ぼくは母が運転する車の後部座席で、車酔いしないように1番ちょうどいい位置に頭を傾けて外を眺めながら、母が買ったフランスパンを抱き枕のように抱いている。ここまでくればもう大丈夫。安心感に包まれながら窓の外に流れるオレンジ色の街灯をひたすらに目で追っていればいいのだ。

この場面は現実の記憶と重なっている。実際に母の買い物について行った時は、田園調布のロータリーを通っていた。現実ではいつも宇多田ヒカルが流れていた。「automatic流して」と言うのがなぜか恥ずかしくて「1番目のやつ流して」とリクエストしていた。
母の運転する車の後部座席が僕の中で安心の象徴だったのか、この悪夢を見続けたせいなのかはわからないのだが、宇多田ヒカルが流れるといまだに妙に落ち着く。
宇多田ヒカルはドキドキな恋について歌ってるはずなのだけど、僕はその歌を聴きながら安心感を覚えているのは不思議だ。

そういえば、高校の頃に音楽マニアの友達が「音楽って思い出と一緒に再生されるからいいんだよね」と言っていて、コイツなんか深いこと言うなあ...と思った。
そいつはネットで簡単に音楽を集められない時代にiPodに1万曲以上曲が入っていた。僕の高校では知ってる曲の数が戦闘力、みたいなところがあったのでCDをレンタルしまくったけど、結局5〜6000曲くらいしか集められなかった。
「選り好みせずに、集めることだけに集中すれば何曲でも集められるけど、俺は好きな曲だけを集めているんだ」と心の中で言い訳をしてなんとかプライドを守っていた。
ちなみに、その時の僕のiPodには宇多田ヒカルは入っていなかった。"J-POPがiPodに入ってるとダサい"という暗黙の了解があった(と僕が思っていただけかもしれない)ので、洋楽でiPodの布陣を固めていたのだ。無駄に洋楽のハードロックをデカい音量で聴くのがかっこいいと思っていた。
戦闘力1万曲の友達は、聴覚健診の結果がいつも悪く難聴気味になっていた。もはやそれさえもカッコよくて、僕もなるべくデカい音で音楽を聴くことを心掛けていた。恥ずかしいほどに思春期の高校生的な価値観だ。

その時僕はガンズアンドローゼズとか、モトリークルーとかの80年代のハードロックにハマっていた。いまだにガンズの曲を聞くたびに高校生の気持ちに戻ってちょっと音量を上げてしまう。

宇多田ヒカルとガンズは今後もずっと"あの時の気持ち"を思い出させてくれると思うと、音楽って素晴らしいなぁ。

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