
多くを語らない男(幸せの重心99話)
このnoteでは「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」が読めます。あとマンガの内容に関係があるような、ないような文章をマンガのお供として書いてます。日々感じていることをなるべくそのまま吐き出すようにしています。
自信とは
「理解されたい欲がないのは、自信があると言うこと。」
この前ヨシキさんとの会話の中でこんな言葉が出た。たまに頭の中に数週間、数ヶ月、数年間と残り続ける言葉があるのだけど、この言葉は今のところ数週間頭に残り続けている。
生きていると誤解されるシーンはたくさんある。
誤解されたときに自分の本当に考えていたことを伝えようとするが、たとえ誤解を解いたとしてもなんだかスッキリしない事が多い気がする。誤解が解けたことよりも誤解を解こうと必死になった姿が滑稽に映っただけな気がしてならない。
昔から"多くを語らない人"に憧れがある。ワンピースで言うところのゾロとかロビンとか。スラムダンクで言うと仙道とか。多くを語らない人が"語る"ことはつい聞き耳を立ててしまう。
仙道なんか負けている試合で湘北に点差を離されているのに"まだあわてるような時間じゃない"と一言言うだけでチームを落ち着かせてしまう。僕だったら"まだあわてるような時間じゃない、それはなぜかというと〇〇があーで〇〇がこーで…"と仲間を説得に入りそうだ。
きっと陵南のチームメイトたちは仙道の普段の自信ある振る舞いに一目置いていて「仙道が言うなら…」と納得してしまう。
理解されたい欲がない人がポロッと出した感情の吐露なんかもつい気になってしまう。おれのこの感情を理解してくれ!と言わんばかりに押し付けられると押しのけたくなるのだが、普段から理解されようともしていない人だとむしろ、この人はどんなことを感じているのだろう?と気になってしまう。
僕もそんな多くを語らない人に憧れて口数を減らしてみたりしたこともあったが、全然憧れに近づいている感じがしなかった。
自信のせいだったのか。
今週の幸せの重心

久しぶりに2人で話していくうちに、タナカはヨシキの意外な一面を知る…
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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※過去の幸せの重心について
この物語のスタート地点はこちら→0話
前回のお話はこちら→98話「不可抗力」
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