山下達郎と左手(幸せの重心96話)
このnoteでは「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」が読めます。あとマンガの内容に関係があるような、ないような文章をマンガのお供として書いてます。日々感じていることをなるべくそのまま吐き出すようにしています。
隣の芝は青い
人の才能が羨ましい。自分のことになるとこれもダメだ、あれもダメだと卑屈になってしまう。自分の生み出したものをどうにも好きになれない。
どうしても他人の才能ばかりが眩しく見えてしまう。これはもう変わらない性質なのではないかと思っている。
ちょうど、今このnoteを家の近くの銭湯のリラクゼーションスペースで書いていたらNHK連続テレビ小説の「ひまわり」が放送しており、主題歌で山下達郎の「ドリーミング・ガール」が流れてきた。一瞬でメロディに身体が反応してテレビ画面に目をやってしまった。この声とメロディによって瞬間で山下達郎の世界に引き込まれる。山下達郎才能あるなぁ...
...一方、才能なんてものは本当は存在せず「ある人から見た誰かの個性」が"才能"と一方的に呼ばれているのだろう、とも思う。
つまり、他人からは自分の才能も見えてるに違いない。隣の芝は青いわけで僕に才能が全くないわけがない。
ただ僕は"僕から見て羨ましいものが才能だ"と思っちゃう。
ある日思いつきで左手で絵を描いてみた。すると自分の描いた絵に対して「いいじゃん!」と思えた。
左手は僕の意志に反した動きをしてくれる。こうだ!と思って狙いを定めて線を引くと、不器用に、思っても見ない方向に動く。これがなんとも気持ちいいし、出来上がりを見て「好きだなぁ」と、久々に自分の描いたものが純粋に好きだと思えた。左手は自分じゃない、みたいな?右手から見たら左手は隣の青い芝だったみたいな。
なので左手で描いた絵をアップするアカウントを作ってみた→twitter・インスタ暇な時に左手で絵を描こうと思う。
今週の幸せの重心
突如仕事を辞めたヨシキ。最も簡単にタナカのできないことをするヨシキに、タナカの心は揺さぶられるのだった・・・・
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