存在しないけど、存在するもの(幸せの重心74話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さん・ワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→73話「さすが、タナカ」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
夢
編集者さんと「夢」について話した。というのも、ヨシキさん曰く、未来を想像してワクワクすることはウェルビーイングにとって重要なポイントらしい。
どんな未来にワクワクしながら、マンガを描いていくのか?
20代前半まではある肩書きを「夢」としたり、尊敬する人やロールモデルを設定して、その人物のようになる!!というのを「夢」としていた。
デザイナーを目指していたときは、「おいしい牛乳」や「デザインあ」などを作った佐藤卓さんを目指していた。漫画家だと「スラムダンク」「バガボンド」などの井上雄彦先生。
その夢にワクワクして受験やなんかも頑張れた。
けど年齢が上がっていき現実が見えてくるにつれて、目標の人物と自分の間にある大きな溝が見えるようになってきてしまった。。肩書きも特に価値を感じなくなってきて、ワクワクできなくなっている。
そこで夢を考え直してみた。
僕は中学生の頃にスラムダンクにハマった。ベッドの横にスラムダンクを置いて、いつでも読み返せるようにしていた。山王戦なんかは何回読み返したかわからない。桜木花道の最終巻の「天才ですから」のセリフと表情が大好きで、あのカットを見るために山王戦から読み返すのだ。
そしてある時、桜木花道がこの世に存在しないことが悲しくなった時があった。存在しないのは頭ではわかっていたるのだけど、「存在しないんだ」と改めて考えると悲しくなってくる。桜木はマンガの中でしか存在出来ず、自由に街とかを歩けないんだ…と、めちゃくちゃ悲しくなった(笑)
桜木花道のリアリティは感じるのに存在しない、というのがなんか変な感じだった。とても悲しかったので、井上雄彦先生の頭の中には確実に存在しているんだ。と自分に言い聞かせることでなんとか納得できた。
この思い出こそが僕がマンガを描く上でのワクワクの源泉なんじゃないかと思う。僕の脳みそに、桜木花道をまるで存在するかのように(というか存在してるんだけど)創造してしまうというのが、めちゃくちゃワクワクする。
宇宙兄弟の小山宙哉先生はマンガを描いている時に「キャラクターに出会う」という表現をするらしい。おそらく小山先生の中には確実にキャラクターが存在している。
僕はまだキャラクターに「出会った!!!」という実感は持てていない。
「キャラクターに出会う」ことを僕の当面の夢としよう。今の僕にとって今1番ワクワクできるのはこれな気がする。
今週の幸せの重心
野球のルールは怪しそうだが、大谷を越えるべくボールを投げる子ウサくん。投げたボールの行方は…
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