恐怖の「で」(幸せの重心70話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さん・ワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→69話「アピール」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
そして!!!!↓こちら、電子書籍になります🐇
まとめて読むとまた読み味変わるので、ぜひ!!!
議論の始まり
「・・・・・で?」
オチがない話をすると、こんなリアクションをされることがある。自分も結論がない話を聞くと、こんなリアクションをすることがある。
このリアクションをされると、「はい、アナタはスベりました〜!!」とを告げられている気分になる。
人前で話すのが怖かったり、会議で発言できなかったりする人は「・・・で?」というリアクションが怖いのではなかろうか。
話をしている途中で「あ、この話・・・で?」ってなるやつだ。と気づいてしまう時がある。
そういう時は『この話はもともとオチとかなくて、「・・・で?」という話のつもりでしたけど・・・で?なにか?』という感じで、・・・で?返しをしてしまうほどである。それだけ・・・で?というのは僕にとって怖いのだ。
この前、ヨシキさんからいいことを聞いた。「議論」についてなのだけど。
ヨシキさん曰く「お互いが考えたことがないところまで行くと議論の始まり」らしい。この話を聞いて思ったのが、
今まで考えたことがない、結論が出ていない話をしようとすると「・・・で?」ってなるよなと。
「・・・・で?それがなんなの?」ってところからその話に乗っかって、突っ込んで話をしていくと、面白い話になったりするんじゃなかろうか。
そういえばヨシキさんって「・・・で?」って言わずに、必ず話を数珠繋ぎのように展開してくれるな。
今週の幸せの重心
ヨシキとカメ美の距離は近づき仲良くなっていく。焦るタナカ・・・。
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