
卑屈に価値はあったのか?
このnoteでは「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」が読めます。あとマンガの内容に関係があるような、ないような文章をマンガのお供として書いてます。日々感じていることをなるべくそのまま吐き出すようにしています。
卑屈と共感
幸せの重心は今回で最終話。
今後もnoteの更新自体は続けていくのだけど、幸せの重心に関するnoteは今日で最後。ということで、なんとなくこのマンガを描き始めた経緯から振り返ってみる。
元々この「幸せの重心」はヨシキさんの本「FULL LIFE」読んでその内容を分かりやすく物語として発信しよう!という企画で始まった。
最初は僕もそのつもりだったのだけど、途中からはヨシキさんの助言もあり、ただただタナカやヨシキ、オク田、獅子村さん....それぞれのキャラクターがどう会話しどう動くか?をひたすら追ってそれを描いていく形になった。
ただ、ヨシキさんからもらったコンセプト「しあわせとは喜怒哀楽の調和である」という言葉は常に頭の片隅に置いておいた。それに関連して、ヨシキさんに言われたもう一つの言葉は頭の中で思い出しながら描いていた。
「卑屈には価値があるってことを世の中の人に知ってもらいましょう」
これは、僕が描くキャラクターは卑屈なキャラ、つまりネガティブな面を持ったキャラが多い。というところから"ワタベ卑屈説"が持ち上がったところでヨシキさんからあった提案である。
幸せの重心を描いていくうちに嬉しい感想を少し貰えるようになった。というのも「めっちゃおもしろい!!!」みたいな感想を貰ったのではなくほとんどが「タナカの気持ち分かる」みたいな感想だった。
なんてことのない小さな共感なんだけど、けっこう嬉しかった。誰しも卑屈な一面は持っているだろうから、物語に自分の卑屈さを投影することでそこに共感を生めたのであれば、卑屈であることに価値はあったのかもしれない。と自分の中で納得することができた。
そして卑屈なタナカを楽しみ、いつもいいねを付けてくれて、タナカやそれぞれのキャラクターたちの感情を追いかけてくれた人たちがいてくれたことはマンガ家としての実感を与えてくれた。
そんな感じで、noteとかTwitterとかのおかげでマンガを発表できて2年ほど続けられて良かった。ありがたい。
これからまたマンガを考える予定です。
「めっちゃおもしろい!!!!」を目指しておもしろいマンガを描きます。また読んでくださいお願いします。
今週の幸せの重心

ヨシキと話して何かを感じたタナカ。1年後、タナカはどうなっているのか?
ここまで読んでくれてありがとうございます。
月980円の「ヒツジゴヤ」に今後も制作過程やマンガ、文章などのコンテンツをアップしていく予定です。
※過去の幸せの重心について
この物語のスタート地点はこちら→0話
前回のお話はこちら→99話「なにも」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
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