どんなに滑稽に見えても(幸せの重心66話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さん・ワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→65話「会費の上限」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
そして!!!!↓こちら、電子書籍出ました!!🎉㊗️🎉
まとめて読むとまた読み味変わるので、ぜひ!!!
ヨシキは何に怒る?
ヨシキさんをキャラクターにするにあたって、「ヨシキさんは何に怒るのか?」ということについて考えたことがあった。
僕はヨシキさんに直接聞くのもなんか面白くないなと思い、怒りポイントを一発で当てて驚かせてやろう!と思い、色々考えた。
ヨシキさんは自由で行動が拡散的な人だから、自由を制限されたりコントロールされたりする時かな…とか。
自己紹介で「まだ何者でもなく、その予定もない」っ書いてるから、何か肩書きとかを他人に決めつけられた時かな…とか。
そして、満を持して、ヨシキさんに僕の思うヨシキ‘s怒りポイントをぶつけてみたところ…
「う〜ん、それは怒らないですね」
外れた。じゃあどんなところで怒るんすか?!と、答え合わせをしたところ…
即答で「一生懸命頑張っている人が笑われてる時です」
なんだこの人、聖人か!?!?
正直この時は、疑いの目でヨシキさんのことを見つめた。綺麗事だろ!!
だが、いいこと言ってスゴイ人だと思われちゃお♪みたいな雰囲気は感じない。俺は性格が悪いので、そう言う類の、自意識にはすこぶる敏感だが、まるで感じない。
なんだか、すごく器の小さい怒りポイントを想定していた、疑いの目をかけた自分が恥ずかしい。
そもそも自分のために怒ると言う発想じゃなかった。恥ずかしい。
のちに詳しく聞くと。
僕の人生を変えた言葉があって。
「どれほど滑稽にみえても、一生懸命やっている人を、馬鹿にしてはいけない」
何かを信じて本気で頑張っている人って、時に周りから見ると、滑稽に見えることも多い。そして実際にそんな姿を馬鹿にする人も多い(自分は何も信じず、何も頑張ってないのに)。
評価をする側に回るのではなく、天皇陛下のように愛する側に回ろうではないかと。
たとえば、天皇陛下の立場に立つと、どんなに駄作のマンガを描いてたとしても「国民が頑張っている!!」と感動すると思うんですよね。そこには評価ではなく、愛がある。
ヨシキさんは30の時のこの言葉に出会ったらしいのだけど、この言葉は、僕の人生も変えてくれそうな予感がする。
今週の幸せの重心
アイドルをバカにする酔っ払いサラリーマン。
そんな光景をみたヨシキがある行動に…?
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