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他人の不幸が愛おしい(幸せの重心76話)

「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。

過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→75話「浮かない日」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。

他人の不幸は蜜の味

僕は他人の不幸や苦しみに関心がある。

他人の不幸は蜜の味、と言うことわざがある。
このことわざは、他人の不幸なんかを目にするとなんか面白く感じてしまったり優越感に浸れてしまう。みたいな意味だと思うのだけど、正直、共感する。
兄貴がスノボーで目の前で骨折した時なんかめちゃ笑っちゃったし、他人が失敗してるとなんでか知らないけどちょっと喜んでる自分がいたりする。

こんな感じで他人の不幸が蜜の味な自分なのだけど、性格悪いな〜と思いつつも、僕が人に愛おしさを感じる瞬間も相手の不幸や苦しみが見えた時だったりする。

マンガのキャラクターを描くときなんかも、そのキャラクターが何に苦しんでいるのか?何に生きづらさを感じているのか?が分かると、なんだか急に愛おしくなってきて、描きたくなる。
完全無欠な人間なんて愛されなくても1人で生きていけるだろうと思ってしまう。

僕は不完全な存在だからこそ、苦しみを感じているからこそ、他者が愛おしく感じて思いやりを持てる。そして思いやっている自分が少し好きだったりする。

僕の中では、相手に対して多少の優越感を感じてるからこそ、相手を思いやる余裕が生まれちゃったりする。その優越感を感じてる自分にうしろめたさも感じるのだけど。

*ちなみに、ヨシキさん曰く共感思いやりは違うらしく、

相手の辛さをただ共感すると自分の脳もつらくなる。
しかし、思いやりを持つ、つまり相手の力になりたいと(行動がともなわなくても)イメージするだけで、自分の脳は幸せになるというものです。

らしい。
他人の不幸は思いやると、さらに美味しい蜜が吸えるのかもしれない!!!

今週の幸せの重心

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自分に似た少年を眺めながらタナカは何を思うのか…

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毎週1本、できれば2本記事(目標)を公開していこうと思います。記事の内容は色々と変わっていくと思いますが、日々マンガを描いてい感じる率直なことをなるべくそのまま吐き出すようにしています。作品はもちろん、作品の外側(創作の過程など)を公開して、マンガをより深く楽しんでいただける場にしていければと思っています。

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