呼吸を支えてくれてるヤツ(幸せの重心90話)
このnoteでは「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」が読めます。あとマンガの内容に関係があるような、ないような文章をマンガのお供として書いてます。日々感じていることをなるべくそのまま吐き出すようにしています。
ありがとう、ありがとう、ありがとう
前回は不安の話を書いた。今回は安心について。
不安というのは自覚しやすい。先の不安は悩みに直結するから結構気付きやすい感情だと思う。
それに引き換え“安心“の感情はなかなか自覚しづらい気がする。
どこで見たのか忘れたのだが、親が子の誕生日を祝うというのはとても大切なことらしい。何かの努力の結果に対してとかではなくただ“誕生“したこと、存在していることを祝われるわけで、生きる上で根本的な安心感を与えてくれることらしい。
どこかでこの話を聞いて「ありがたい…」という考えは浮かんだが、やはり心から「自分に安心感を与えてくれてありがとう…!」と親に感謝する感情まではいかない。自分の安心感がどこで担保されているのかなんて日常で考えないわけで、やはり気付くのは難しい。
酸素に感謝するような難しさがある。いつも呼吸を支えてくれてありがとう…!みたいな。(子供とかできると親のありがたみに気づくらしいね)
そういえば一回本格中華を食べに行った時に“舌炎“になった。舌炎になると一週間以上舌が痺れ続け、食べる物全ての味がしない。
食の喜びを感じられないのはかなりしんどく、健康な舌のありがたさを痛感した。舌、いつもありがとうと思った気がする。
靴とかにも感謝しないといけない。靴がない日々を想像するとなかなか地獄だ。炎天下のコンクリートとか、外のトイレとか、砂利道とか、裸足だと物理的にかなり困る気がする。多分外に出るのが嫌になると思う。よって人とも会えない。
靴、ありがとう。
今週の幸せの重心
仕送りのラーメンを食べるタナカの様子を見て、カメ美はあることに気づく…
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