くすんだ幸せ(幸せの重心56話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→55話「嫌い」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
ずっと幸せは無理?
しあわせとは喜怒哀楽の調和である。
このマンガのコンセプトに掲げている言葉だ。だが、コンセプトにしては見たもののつくづく難しい言葉だなと思う。
喜びや楽しみがしあわせにつながっていることは、分かりやすい。しかし、哀しみや、怒りを感じている時に、自分を俯瞰して「しあわせとは喜怒哀楽の調和だ」と呪文みたいに唱えてみても、しあわせになれる気もしない。
ネガティブな僕にとって、コレは明らかにしあわせじゃないだろ!!!と叫びたくなる瞬間は生きてればやってくるのだ。
今回の幸せの重心には、過去回に出てきた、獅子村課長が出てくる。獅子村は癇癪持ちで、部下からはパワハラ上司として有名だった。
鬱が原因で退職し、獅子村課長の人生は思い描いていた方向とは全然違う方に転がってゆく。一般的にはこの状況を「獅子村さんしあわせだなぁー」とほっこりして眺める人はなかなかいないと思う。
まさに怒りと哀しみを詰め込んだみたいな境遇にいる獅子村課長なのだが。こう言う時って、不幸であることがそんなに悪いことじゃないって伝えてもらった方が良いとさえ思う。
・・・・あれ、もしかして「しあわせとは喜怒哀楽の調和である」って
しあわせって言う言葉があまりにもキラキラしすぎていて、しあわせにならなきゃ!とプレッシャーに感じるからこそ
そこに怒りとか哀しみを混ぜ込んで「ちょっとくすんでるぐらいがしあわせだよー」って、しあわせのハードルを下げてくれる言葉なのかもしれないな🤔
そう思うと、獅子村課長を不幸だと決めつけるのは早いのかもしれない…
今週の幸せの重心
警備員として再就職した元上司の獅子村に対してタナカが咄嗟に出した一言とは…
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