「これでいい」という生き方(幸せの重心45話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→44話「言い訳のススメ」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
これでいいのだ
今週は「これ“で“いい」と「これ“がいい」いう言葉の差について考えた。
(僕が「これでいい」で思い出すのは『天才バカボン』に登場する、バカボンのパパのセリフ「これでいいのだ」)
僕はどちらかというと「これ“が“いい」で人生を進めてきた方だと思う。
僕は高校を卒業してから、3年の浪人生活を経て東京芸術大学に合格した。
浪人中の僕は「芸大以外ない!芸大がいいんだ!」と他の大学には目もくれず、ひたすら美術予備校に通いデッサンを描いていた。
振り返ると何をそんなにこだわっていたのだろう?と思うが、とにかくその時の僕は「芸大に行けなきゃ終わりだ」「プライドが許さない」くらいに考えていた。合格したら、なんか、ものすごい自分になれると勘違いしてた。
そのおかげで得られた能力もあるのだけど、今30歳を手前にして、改めて「“が“いい」という価値観で生きていくことに「なんか違うんじゃね?」と思い始めている。
ヨシキウサギは色々な状況に幸せを見つけていく。どんな状況にも軽やかに調和するように楽しみを発見していく。何にも期待をしていないというか、「期待通りになることを期待してない」というか。
“が“いいには身の丈に合わない期待が含まれている気がする。
そんなことを考えてみたものの、「これ“で“いい」ってまだ難しい。
言葉だけ聞くと妥協のニュアンスも感じ取れるが、それとは違う気もする。ヨシキウサギも、「これでいい」とただ流れに任せて、妥協して生きているようには見えない。きっと“で“いいの中にも、人それぞれ、その人なりの基準があるのだろう。そんな感じがする。
ヨシキウサギがどう動くかを観察して、「これでいい」について考えていこう…
今週の幸せの重心
「旅行はプラン通りが1番?」
不本意にも「埋蔵物資料館」にいくことになったタナカ。プランを大切にするタナカの、貴重な休日の旅行は台無しになってしまうのか…?
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