うんちをしても褒められない(幸せの重心52話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」
前回のお話はこちら→51話「寄り添う男」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。
承認欲求への対抗手段
チヤホヤされたい。
チヤホヤされるのは、嬉しい。自分のやったことを人から褒められたり、すごい!ともてはやされたり、評価されると嬉しい。脳みそのどこかから何かが分泌されて気持ちよくなる感じがある。この刺激は中毒性がある。
しかし困ったことに、大人になってくるとどんどん褒められにくくなってくる。
赤ちゃんはうんちしただけで褒めれられる。初めて歩いた時なんて、お祭りみたいに周りにチヤホヤされる。
俺も毎日うんこしてるし、歩いてるのに、全く褒められない。
絵を始めた時は、ちょっと陰影がつけられてだけでも褒められたのに、今となっては漫画家なんだから絵なんてかけて当たり前でしょ。となる。
困った。今年僕は30歳なんだけど、このまま歳をとっていくと、より褒められにくくなっていく予感がしている。チヤホヤされるか?を基準に生きていくのは限界を感じる。
今のところ、チヤホヤに対抗できる手段として、僕の中で有力なのは「夢中」だ。
夢中は楽しい。夢中な人は他人からの評価など気にしない。チヤホヤされようがされまいが、どうでもいい。目の前のことに夢中なんだもの。そして、夢中になるための切符として、自分が魅力的だと思うものを見つけるというのが大事なのではないかと思う。
というのも、「クリストファー・ノーランの映画術」という本にこんなことが書いたあったのだ。
僕はこの、クリストファー・ノーランの魅力的だと思うもの、を読んだ時になんだかとてつもなくワクワクした。
自分の気づかなかった魅力がこんなにも世の中には転がっているのか!?と。こんなところに魅力を感じることができるのか!?と。
「ipadの仕組みを誰も理解していないという事実」に魅力を感じることなんて、発想になかったのだけど、言われてみるとたしかに好奇心をそそられるのだ。
さらにいうと、クリストファー・ノーランはこの魅力を存分に映画に詰め込んで、鑑賞者に好きのお裾分けをしている。だからこそ、僕はこのクリストファー・ノーランが魅力的だと思うものを、映画を通して、より魅力的だと感じることができるのだろう。
よし、俺もクリストファー・ノーランみたいに好きのお裾分けをして、チヤホヤされるぞ〜!!
今週の幸せの重心
オク田のために先輩・タナカが立ち上がる…!
タナカは先輩としての風格を出すことができるのか…!?
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