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オレはカッコいいのだろうか?(幸せの重心84話)

「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんワタベヒツジのtwitterアカウントで連載中)このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。

過去のnoteについて
この物語のスタート地点はこちら→0話
前回のお話はこちら→83話「気にならない」
*過去のnoteは全て、マガジン「ヒツジゴヤ」内で読むことができます。

カッコいいとは


「カッコいい」というのは僕の人生においてかなり重要だ。カッコ悪い自分でいることほど苦痛なことはない。

ただ、僕は“なるべく多くの人にかっこいい人だと思われたい“ワケではない。
一時期はみんなにかっこいいと思われたい時期もあった。特に若い時はそうなりがちだった。
でも今は自分的にかっこよければなんでもいいと思う。自己満足の世界である。人の思うかっこいいに合わせて生きる必要なんてない。

ここまで書いてふと思った。

自分のnoteに、まるでインタビューを受けているかのように、自分のかっこいい観について語るのはかっこいいのだろうか?
カッコ悪い気もするけど、一見カッコ悪いことをあえてやっちゃうカッコよさもある。

“かっこいい“と言うのは複雑だ。
カッコ悪いことがカッコ良くなったり、カッコよくしすぎることがカッコ悪くなったり、カッコよさを意識してること自体がカッコ悪かったり、カッコ悪くても平気な顔してる人がカッコよかったり…いろんなパターンがありすぎて考えてると頭痛くなってくる。それくらいかっこいいは複雑だと思う。

ファッションとかでも、あえてサイズ感があっていないダサい服を着ることが一周回ってカッコよかったり、ダサいと言われているブランドをあえて着ることがかっこいいと言われたりする(…するよね?)

考えれば考えるほど、かっこいいにルールはない気がしてくる。
独自のカッコよさを持つ人々もいる。なんか、車の底?のところが地面に近ければ近いほどかっこいいみたいな価値観の人とかいるよね?
あと僕の地元の中学では制服に軍手をつけるのがかっこいいとされていた。
僕は中学の時ワックスをつけることがなぜかカッコ悪いと思っており、一時期水だけでセットしていた。

100年くらい経つと、今自分がかっこいいと思ってることって真逆になってたりするんだろうな…

今週の幸せの重心

最高にカッコイイ車に乗る最高にカッコ悪い男を見つけたヨシキウサギ…

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毎週1本、できれば2本記事(目標)を公開していこうと思います。記事の内容は色々と変わっていくと思いますが、日々マンガを描いてい感じる率直なことをなるべくそのまま吐き出すようにしています。作品はもちろん、作品の外側(創作の過程など)を公開して、マンガをより深く楽しんでいただける場にしていければと思っています。

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