自己防衛のための卑下(幸せの重心23話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れた善樹さんの考えを少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnote
1話「東京の夜空にある奇跡」🐇
2話「”後悔”とうまく付き合う方法」🐢
3話「幸せになる仕事の終え方」🐇
4話「感情に脳をハイジャックされない方法」🐢
5話「日本で1番の県名」🐇
6話「時代に参加するか、歴史に参加するか」🐢
7話「あなたの峠はなんですか?」🐇
8話「お年寄りか、○○○か」🐢
9話「幸せになるカレンダー」🐇
10話「ヨシキウサギの吃音の捉え方」🐢
11話「現代の千利休」🐇
12話「幸せとは?」🐢
13話「地球を名付けた男」🐇
14話「恥を感じる達人」🐢
15話「小さな発見の効果」🐇
16話「悲しみのシミュレーション」🐢
17話「褒めの呪縛」🐇
18話「セミの気持ちになって、セミを食す」🐢
19話「エクレアの幸せな食べ方」🐇
20話「愛にとって過去とは何か?」🐢
21話「正しいとイライラムカつく?」🐇
22話「現実逃避、するなら全力で」🐢
自分を卑下してしまうのはなぜ?
「イジられることに自分の価値を見出しちゃダメですよ、楽ですからね」
ヨシキさんに、僕が言われた一言。
イジられることに価値を見出す…?
最初何を言われてるか分からなかったのだが、なんか大事そうなことを言われる気がしたし、なんか心にグサッッッ!ときたので、イジられてる時の自分の感情について考えてみた
イジる、イジられる、の関係性ってどこにでもあると思う。上司と部下、先輩と後輩、友人同士でも。
僕の場合、イジられるシーンといえば、育成してもらっている編集者さんとの会話の中。
今回は、僕が編集者さんからイジられて、おちゃらけた感じでそのイジリに乗っかって自虐をした時に、上の一言をヨシキさんに指摘してもらった。
編集者「ワタベくんはさァ〜マンガがチンプンカンプンになるよねぇ〜」
ワタベ「オレのマンガマジで誰にも伝わらないっすよねッ・・へへっ今のままだと、しゃべった方が早いっすわァ〜〜」
みたいな。
今回のイジリは、単なる笑いのダシとしてのイジりではなく、マンガ家として向き合わなければいけない問題を、笑いを交えて、イジりという形で触れてもらったというケース。
本音を言うと、僕のマンガは確かに発展途上ではあるが、誰にも伝わらない訳ではない。しゃべった方が早いこともあるけど、そうじゃないこともある。と思っている。
振り返ってみると、こういった感じで、自分の本音よりも少し卑下して、相手のイジリに乗っかっていた。
「あ、その欠点ね!オレそこ自覚してるよ!!何ならもっとひどいぜ!!」と自分の傷を過剰に見せておくと相手にそれ以上突っ込まれないから安心するみたな。自己防衛の一つなのだろう。
考えてみると、反射的に“卑下“するクセが、ついていた気がする。これってお笑い芸人とかの自虐ネタとは違って、意外と相手にバレていて、逆に気を使わせてしまったりするよね...
きっと、そこで傷つかないために問題をうやむやにせずに、しっかりと向き合うと、その先に成長があったりするんだと思う。
今週の幸せの重心
「カメって本当にトロいの?」
遅刻したヨシキを小馬鹿にした結果、カバタ部長にキツイ一言を食らったカメのタナカ。タナカは恥をかかないためにある行動に出るのだが…
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