「思いやり」の快楽(幸せの重心27話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れた善樹さんの考えを少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnote
0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」🐢
1話「東京の夜空にある奇跡」🐇
2話「”後悔”とうまく付き合う方法」🐢
3話「幸せになる仕事の終え方」🐇
4話「感情に脳をハイジャックされない方法」🐢
5話「日本で1番の県名」🐇
6話「時代に参加するか、歴史に参加するか」🐢
7話「あなたの峠はなんですか?」🐇
8話「お年寄りか、○○○か」🐢
9話「幸せになるカレンダー」🐇
10話「ヨシキウサギの吃音の捉え方」🐢
11話「現代の千利休」🐇
12話「幸せとは?」🐢
13話「地球を名付けた男」🐇
14話「恥を感じる達人」🐢
15話「小さな発見の効果」🐇
16話「悲しみのシミュレーション」🐢
17話「褒めの呪縛」🐇
18話「セミの気持ちになって、セミを食す」🐢
19話「エクレアの幸せな食べ方」🐇
20話「愛にとって過去とは何か?」🐢
21話「正しいとムカつく?」🐇
22話「現実逃避、するなら全力で」🐢
23話「カメって本当にトロいの?」🐇
24話「土砂降りの温泉旅行」🐢
25話「見逃していた会議の楽しさ」🐇
26話「卑屈には価値がある」🐢
「共感」と「思いやり」の違い
ヨシキさんは、「幸せとは喜怒哀楽の調和である」と言います。人生はさまざまな感情を味わうことで、豊かになっていく。
そして、僕は最近「思いやり」を持つことでしか感じることができない感情に魅力を感じています。
まず、ヨシキさんは、「思いやり」についてこう言ってます。
たしかに、なんかわかる気がする・・・
でも、相手を思いやると言うのは一体何なのか?共感とはどう違うのか?
ヨシキさん曰く・・
「思いやり」=「共感」+「相手の力になりたい」
だそうです。「相手の力になりたい」と言う意思があるかどうか。
この「相手の力になりたい」と言う視点で人や社会を見ると、全く見え方が違ってくる。
「怒り」の感情ですら「愛おしさ」に変換されたりする。この変換は「思いやり」を通してでしか感じることができない、すごく豊かな感情だと思う。
たとえば、目の前にいる他人に対して、「なんでこんなことを言ってくるんだろう?」とか「何でこの人とはうまくいかないんだろうな?」とか、苛立ちや怒りを感じた時に、思いやりを持ってその人を見てみる。
すると、その人は何か人知れず苦しんでいるからこそ、自分に対してネガティブなリアクションととってしまっているかも知れない、と想像が膨らむ。
相手の葛藤を知り、共感して、何か力になれないかと想像を巡らせると、その相手が愛おしく感じさえする。
「思いやり」によって、「怒り」が「愛おしさ」へ変化していくのって、すごく希望があるものだと思う。
今週の幸せの重心
「あの人が怒鳴る理由」
部下に怒鳴り散らす獅子村課長。タナカは、過去のある出来事を思い出し、怒りを露わにするのであった...
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