ドブネズミはなぜ美しいのか?(幸せの重心29話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnote
0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」🐢
1話「東京の夜空にある奇跡」🐇
2話「”後悔”とうまく付き合う方法」🐢
3話「幸せになる仕事の終え方」🐇
4話「感情に脳をハイジャックされない方法」🐢
5話「日本で1番の県名」🐇
6話「時代に参加するか、歴史に参加するか」🐢
7話「あなたの峠はなんですか?」🐇
8話「お年寄りか、○○○か」🐢
9話「幸せになるカレンダー」🐇
10話「ヨシキウサギの吃音の捉え方」🐢
11話「現代の千利休」🐇
12話「幸せとは?」🐢
13話「地球を名付けた男」🐇
14話「恥を感じる達人」🐢
15話「小さな発見の効果」🐇
16話「悲しみのシミュレーション」🐢
17話「褒めの呪縛」🐇
18話「セミの気持ちになって、セミを食す」🐢
19話「エクレアの幸せな食べ方」🐇
20話「愛にとって過去とは何か?」🐢
21話「正しいとムカつく?」🐇
22話「現実逃避、するなら全力で」🐢
23話「カメって本当にトロいの?」🐇
24話「土砂降りの温泉旅行」🐢
25話「見逃していた会議の楽しさ」🐇
26話「卑屈には価値がある」🐢
27話「あの人が怒鳴る理由」
28話「怒りの裏にある感情」
許すのはムズい
↑の記事では、たとえムカついた相手でも、相手の葛藤を知り、共感して、何か力になれないかと想像を巡らせると、その相手が愛おしく感じさえする。
といったことを書いた。
想像力を持つことで、相手を許す。そんな寛容な人間でありたい。
・・・ただ、生きているとどうしても人を許すことができない瞬間もある。小さい、みみっちいことなのにどうしても許せなかったりする。理屈では分かっていても、一度燃え上がったイライラを消火するには結構時間がかかったりする。怒りに支配されている間は、自分の嫌いな部分が露呈し、そんな小さい自分に対しても怒りが飛び火する。
人間は感情の生き物なんだな・・・と痛感する。
そんな時は、左脳は機能しない。いくら理屈をこねて、自分が怒らないための理由を探してもイライラが収まることはない。
もう、お手上げなので、空を見上げたり、指紋の数を数えたり、無理やり笑顔を作ってみたり・・・とにかく気を紛らわせるしかない。
こちらの記事の中で、若新 雄純さんがこんなことをおっしゃている。
僕はずっとYOSHIKIが好きだったから、「コミュニケーションや世界や未来の展望は色のないスケルトンがいい」なんて、ずっと言っていました。YOSHIKIはドラムが透明だから。だけど最近は「甲本ヒロトのほうがすごいな」と。透明よりもねずみ色というか、ドブネズミの色のほうが人間のそのままの姿というか。あれを許容できて初めて美しくなる。だから、ドブネズミであっても、互いにそうなんだからキレイではないことを攻めるのではなくて、そこを許し合うなかで一歩踏み込んで議論をする。これはウェルビーイングという話とも共鳴することだと思っています。
なんて素敵なんだ甲本ヒロト。そしてこの解釈。
ドブネズミは人を許せるから、美しいのか。
今度からは、イライラした時は、リンダリンダを聞こうと思う。
今週の幸せの重心
「仏VSプリン」
父との過去を振り返り、相手のことを想像することの重要さに気づいたタナカカメの前に、大きな試練が立ちはだかる...
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