家族に優しくできない理由(幸せの重心30話)
「幸せとは喜怒哀楽の調和である」というコンセプトで連載をしているマンガ「幸せの重心」(石川善樹さんのtwitterアカウントで連載中)
このnoteではマンガの先読みと、マンガの中で触れたことについて、少し掘り下げ、僕なりに感じたことを書いたりしています。
過去のnote
0話「幸せとは喜怒哀楽の調和である」🐢
1話「東京の夜空にある奇跡」🐇
2話「”後悔”とうまく付き合う方法」🐢
3話「幸せになる仕事の終え方」🐇
4話「感情に脳をハイジャックされない方法」🐢
5話「日本で1番の県名」🐇
6話「時代に参加するか、歴史に参加するか」🐢
7話「あなたの峠はなんですか?」🐇
8話「お年寄りか、○○○か」🐢
9話「幸せになるカレンダー」🐇
10話「ヨシキウサギの吃音の捉え方」🐢
11話「現代の千利休」🐇
12話「幸せとは?」🐢
13話「地球を名付けた男」🐇
14話「恥を感じる達人」🐢
15話「小さな発見の効果」🐇
16話「悲しみのシミュレーション」🐢
17話「褒めの呪縛」🐇
18話「セミの気持ちになって、セミを食す」🐢
19話「エクレアの幸せな食べ方」🐇
20話「愛にとって過去とは何か?」🐢
21話「正しいとムカつく?」🐇
22話「現実逃避、するなら全力で」🐢
23話「カメって本当にトロいの?」🐇
24話「土砂降りの温泉旅行」🐢
25話「見逃していた会議の楽しさ」🐇
26話「卑屈には価値がある」🐢
27話「あの人が怒鳴る理由」🐇
28話「怒りの裏にある感情」🐢
29話「仏vsプリン」🐇
家族は自分の分身・・・?
自分の欠点ばかり気になって仕方ない。自己批判ならいくらでもできる。
カメのタナカはそんな奴だ。タナカと同じで、僕もそんな奴だ。そういう人は他人には怒らなかったりする。大体のことは自責して、自分に非があると考えるから。そういう意味では、寛容とも言えるかもしれない。
僕も大抵のことでは怒らない。人に怒りをぶつけた記憶なんて、10年遡ってもほぼ見当たらない。父が怒りやすい性格だったのもあり、人に怒りをぶつけないように細心の注意を払って生きている。
ただ、寛容なハズなのに、将来結婚するパートナーや自分の家族、親しい友人に優しくできるのか?と一抹の不安を感じることがある。ていうかずっと不安。
こちらの記事を読んで、目から鱗が落ちた。
正直に言うと、僕もどちらかというと他人にはわりと寛容なのに、自分には批判的になってしまうほう。……ただ僕の場合は、家族に対しても、まるで自分に腹が立つかのように怒ったりしてしまうことがあるんです。僕にとっては家族もどこか“自分”のような意識があるってことが最近わかって、ちゃんと“他者”として見る練習をいましているところ。
当然だけど家族は僕のものじゃないし、分身でもないんだから、たとえば家族が痛い目に遭ったとしても、僕は実際にその痛みを感じることはできないでしょ?
不安の根っこが見つかった。
親しい相手になればなるほど、急に心が狭くなっていくように感じていたのだ。自分の中の寛容さが急に仕事をしなくなる。
他人にはかけれる優しい言葉を親しい相手にはかけられなかったり、小さなことが気になり始める。まるで自分を批判している時みたいに。
だが悲観することはない。原因は見つかった。
これで、未来の結婚相手に優しくなれる希望が見えてきた。
ここまで語ってふと我に返り、僕には結婚相手どころか、彼女さえもいないことに気づいたが、まあ、そこは、頑張ろう...
今週の幸せの重心
「優しくできない相手」
タナカは、大切にしているはずの彼女・カメ美からまさかのひとことを言われる。落ち込むタナカは、ある作戦を考える・・・
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